サバイバー Ep93
平成26年の秋に越野先生から電話が掛かってきました。
「12月に大阪で研修会を開くから来なさい!」
松山で教えていただき、今度は地元で教えていただけると聞いて喜び勇んで参加しました。
遠方からの参加者にも分かりやすいようにと新大阪駅近のホテルで開かれました。
初回の研修会でしたが越野先生は、都合で来られませんでした。
講師を務めたのは、オルゴン療法のサロンをしている女性の方でした。
手足の末梢施療を中心に教えていただきましたが松山での先生の強烈な施療を体験していたので驚きはしませんでした。
研修会は、年間を通して3回開かれて段階的にステップアップしていく内容になっていました。
2回目の研修会から講師一人では、対応しきれないので私に教える側に回ってくれと講師見習いをすることになりました。
年が明けて、3月に2回目の研修会が同じ新大阪のホテルで開かれ、今度は越野先生が来られました。
講師の先生も九州から一人来てくれました。
初めての参加者が10人ほどおられ、越野先生が一人ずつ足の末梢の体験施療をされることになり、全員が周りを取り囲み見学したのです。
受ける側は、あの強烈な痛みを全く知りません。
私は、ニヤニヤしながら見ていました。
始まると「ウオーギャーヒー」と絶叫です。
換気のために窓を開けていましたが悲鳴にも似た絶叫が続くために、「あの部屋では何をやっているんだ?」と通報でもされたら事なので窓を閉め切りました
オルゴン療法は、施術を受けると血行が良くなり体温が上がります。
する側もされる側も体温が上がるからか会場は、たちまち熱気ムンムンになり、あまりの暑さに3月なのにエアコンを入れるほどでした。
研修会は、回を重ねる毎に参加者が増えていき、大きな会場に移りました。
初めての参加者の中に気になる男性が居ました。
私達講師が参加者全員に向かって、話をしている時にその男性は、こちらに背中を向けて首だけ回して聞いていたのです。
それにしても態度の悪いオジサンだなあと思いました。
研修会が終わった後に質問があるとその男性が来たのです。
私の前に立たれたのですが真っすぐに立てないのです。
それに、ろれつが回らず喋りがおかしいのです。
私は、脳梗塞の前兆ではないかと思い直ぐに病院で診てもらうように言いました。
すると「実は数日前から家族に言われて昨日検査を受けたのです。結果は明日分かります。」と言われました。
翌日に電話が掛かってきました。
脳腫瘍が見つかったのです。
直ぐに大きな病院に入院されました。
腫瘍は手術できない深部にできていて、化学療法と放射線治療が始まりました。
そして本人が言いました。
「教えてもらったオルゴン療法で絶対に治してみせる!」
それからは、分からないことがあると電話が掛かってきました。
施療用リングは、持っておられましたがピンセットも欲しいと言われたのでお見舞いついでに持っていくことにしました。
抗がん剤の副作用でグッタリとベッドで寝ている姿を想像していましたが全くの逆でした。
ジャージーを着て、スポーツシューズを履いて院内を歩いていました。
どう見ても病院の雑用でもするオジサンにしか見えませんでした。
「毎日することないんで教えてもらったオルゴンやっています!」
「おかげで副作用も何にもありません。」と言ってベッドの上で足を擦りだしました。
それからです、外出許可を取って月に二回治療を受けに来られるようになったのです。
来るたびに、検査データーとMRI画像のコピーを持って来られました。
データーの数値を見ても分かりませんが画像からは、腫瘍が少しずつ小さくなって行くのが分かりました。
この方は数カ月の入院生活後に、寛解状態になられ無事退院されました。
化学療法が効いたのか?
放射線治療が効いたのか?
オルゴン療法が効いたのか?
一つハッキリと言えることがあります。
それは「絶対に治してみせる!」と言う本人の強い意思の存在です。
今も毎日セルフ施療をされていることと思います。
To be continued.